まるいしかく

日々の思考や趣味のことを。

E判定でも人生どうにかなる

今週のお題「試験の思い出」として浮かぶものは、センター試験の話。

そして、E判定から志望大学に逆転合格した話ではない。

奇跡の話を楽しみにしていた方には申し訳ない。

 

 

私には高校入学時から目指していた県内の国立大学があった。

県内の国立大にこだわっていた理由は、

母子家庭であり進学にかかる費用を可能な限り抑えたいと考えていたため。

よくある話かと思う。

 

その頃から私は看護師になることが夢で、看護学部のある大学を目指していた。、

その国立大は看護の分野で歴史のある大学でもあり、

頭でっかちな私はその大学に入らないと意味がないと考えていた。

実際、同県内には公立の看護大学もあったが、

少し偏差値が下がるという理由で視野には入れていなかった。

 

秋頃には、その公立大学の推薦枠の話もあったが、

楽な道に行く自分が許せず蹴った。

決して推薦で入学することや私立大学の入試が楽だと言いたいわけではない。

 

ただ、自分が長年目指してきたものに背く決断を下せなかった。

 

 

そして迎えたセンター試験では得点に伸び悩み、ほとんどが「E判定」だった。

良くて「C判定」のところもあった。

高校三年生という短い人生ながら、初めての”絶望”を記憶している。

 

 

ここで頭の賢い人間は安全圏の大学に変更することが普通だと思う。

多くの同級生も自身の結果を受け止めて、現実的な判断を下していたと思う。

 

一点集中でやってきた脆さが露呈した。

 

当時の私は、その第一志望に行くことしか考えておらず、切り替えができなかった。

「C判定」を出している予備校にすがって、

二次試験で巻き返したいと担任の前で大泣きした。

担任はGOサインを出さなかった。

 

同県内の公立大学に変更することが賢明であった。

推薦で入っている人がいる大学、行きたくなかった。

関わりの深かった進路指導の先生に話に行き、

後悔すると思うなら、受けてみてもいい。

その言葉を言ってくれる人を探していた。

 

そこからの日々は自分の決断を正当化するべく、必死に二次試験の勉強に励んだ。

 

 

そして、散ったのだ。

 

結果は不合格、私の受験番号は画面には出てこなかった。

すがすがしい気持ちだった。

自分がやりたかった挑戦ができたことに満足していた。

 

その日からは後期試験で確実に入学できるであろう大学に標準を合わせた。

 

が、そんな大学は自宅の近隣にはなかった。

地方の公立大学を受験することになった。

 

同級生の多くが3月中旬前には合格したり、

滑り止めの大学に進学を決める中、

最後まで粘った。

 

何せ私は私立大学は受験もしていなかった。

浪人することも考えていなかった。

背水の陣だった。

 

 

二次試験の面接はゆるく、雪国だったのもあり、

雪は大変だったでしょうなんて世間話がメインだった。

 

もう4月も目前に迫る頃、合格の知らせが届いた。

次に歩む道が定まったのはもう3月も下旬のことだった。

 

第一志望にはいけないし、全くマークしていなかった大学への進学。

 

周囲に知り合いなんていない、行ったこともない辺鄙な都市へ進学することになった。

するしかなかった。

 

入学当初は学歴コンプレックスとプライドの塊で、

非常に関わりにくい人間だったと思う。

けど、その土地の人々はそんな私をなじませてくれた。

今でも思うことは、なりたいものなるのに場所なんてあまり関係なかったということ。

看護師の資格なんて、どこの看護大学でも得られる。

 

知らない土地で知らない人と関係を築くという経験。

あの時の決断、間違っていなかったなって思う今。

 

自分の決断を正しいものに、価値あるものにできるのは自分だということ。

 

全然未来なんてどうにでもなるし、

決めすぎた未来を歩むより少し寄り道した方が人生は楽しい。

 

試験には結果が伴うが、それだけで絶望しないでほしい。

その先の人生をどう歩むかで自分を肯定できるようになるから。

 

ありがとう。